『書くのがしんどい』のはメンタルが原因

書くことって楽しそう。

この本を読み終えて、自然とそう思えました。
ブログなどを書きたいけど、「書くのがしんどい」と感じている人に、「書くのが楽しい」と思わせるような考え方やノウハウをこの本は教えてくれます。

この本の著者は、編集者です。「書く」という行為について、取材や編集という観点で紹介されていて、その考え方やノウハウなどは新鮮で、多くの学びがありました。

書けないのはメンタルが原因

書けない原因はスキルではなく、メンタルの問題だと、著者は述べられています。

大切なのは、「書こう」とすることではなく「伝えよう」とすることです。
メールも、LINEも、誰かに何かを伝えようとするから自然に「書ける」わけです。
「よーし、LINEを書くぞ」という人はいません。「電車が止まってて遅れます」ということを伝えたいから書けるのです。

『書くのがしんどい』より

確かに、メールやLINEなどでは、意識せずに自然に自分の考えを書いて伝えています。会話も自分の考えを伝えていますよね。ブログなどで文章を書くのも、同じように自分の考えを伝える行為です。そう考えると、書くことってとてもシンプルですね。

つまり、書けないのは「伝えたいことがない状態」で書こうとしている。あるいは「伝えたいことがはっきりしていない状態」で書こうとしている。だから、しんどい。これは、ライティングのスキルの問題ではなく、伝えたいものがない状態で書こうとしているメンタルの問題です。

伝えたいこと、つまり「何を書くか」については、以下のように述べられています。

自分の中からひねりださない。ひとから聞いたこと、自分が見たことなど「取材」して、書きたいことをみつける。

『書くのがしんどい』より

自分のことを書こうとしても何も出てこない。そうじゃなくて、雑誌の編集者のように身の回りのことを取材して、それに対して自分が感じたことを伝えればいい。ということです。

この本では、具体的な取材のやりかたなど、編集者の観点で丁寧に説明されています。

無邪気に書いて、イジワルに編集する

実際に「書いていく」工程は、以下の2ステップで進めていきます。

  1. 何も気にせず無邪気に書く
  2. イジワルな編集者になって直す

この考え方は「なるほど!」と思いました。

文章がオカシイか、表現が陳腐か、などを考え出すと何も書けなくなっていまいます。まずは、自分が伝えたいことをそのまま書きなぐればいいんです。友だちに話して紹介するつもりで、伝えたいことを自分の言葉でそのまま書き連ねていきます。

そして、次の段階でイジワルな編集者になります。自分が書いた文章を、客観的に校正していきます。他人の書いた記事は、面白いかどうか、どこが良くてどこが悪いか、といったことが割と簡単に分かったりします。著者が編集者なので、編集に関してのノウハウは具体的で学べることが多くありました。

人生という雑誌の編集長になろう

この本の中で、一番衝撃を受けたのが以下の1文です。

人生が雑誌なら、あなたは人生の編集長である。

『書くのがしんどい』より

確かに、ツイートしたりブログで書くというのは、自分が人生で体験したこと・感動したことを切り取って伝えているという行為です。これは、まさしく編集という行為そのものです。これまで、このような「自分の人生を編集している」という考え方は持っていませんでした。

人生の編集だと考えると、人生のどこを切り取るのか、それをどう面白く見せるのか、が重要になってきます。YouTubeなども同じで、編集によってコンテンツの価値が大きく変わってくるのだと思います。

さらに「書いて発信すること」に対して、以下のような視点で紹介されました。

書いて発信することは「世界へのプレゼン」です。ツイッターやフェイスブックを使えば、多くの人に情報や考え、思いを届けることができます。「1億総プレゼンター時代」と言っては大げさでしょうか……。

『書くのがしんどい』より

自分の伝えたいことをブログやTwitterで発信する、というのは確かに「世界に向けてプレゼンする」という行為そのものです。やっていることは同じですが、意識のひとつで、書くという行為のとらえかたが変わってきます。

おわりに

普段、ツイッターやブログに書くという行為がどういう意味なのか。どんな考え方をすれば、思ったように書けるのか。この本を読んで、改めて書くという行為について意識することができました。

「自分がどう考えて、自分は何を伝えたいのか」
書くという行為の根本はそこにあります。そして、書くという行為を通じて「自分が普段どう感じているんだろう」と意識的になれると思います。

何より「書くことって楽しそう」「書いてみたい」と、この本を読んだ後に自然とそう思えました。